手当て人紹介

小林恵梨


1979年2月2日愛知県蒲郡市生まれ
美容師・アロマフランスクレイテラピスト・そらいろ手当て人

子供時代は祖父母と叔母を含め8人家族で、3人兄弟の長女として育ちました。
大人達の昼ドラのような家庭を見て育ったためか、大勢との人付き合いは苦手で、学校では図書館に入り浸り本の世界に入るのが好きで、家ではゲームやアニメの世界も好きな素朴なメルヘン少女でした。

19歳から美容師を子育てやお休みを挟みながら20年ほど経験しました。
美容師時代からお客様のお顔のたるみを改善して喜んでもらいたいけど、私は髪しか触れないしな、と鏡ごしの自身のお顔のたるみに悩むお客様と髪型を相談しながら考えたりしていました。この想いが現在のそらいろの原点になっています。

28歳で結婚、29歳で妊娠し第一子を流産するまでは、医療や薬や食と健康との関係には全く興味がありませんでした。
妊娠に気付かず40℃の発熱でかかりつけの医者を信じて解熱点滴を受けてしまったことが流産の一因でもあったことや、流産手術の麻酔の怖さや術後の痛みを体験。
自身の医療や体に対する無知さに氣づかされ、医療を受けるということ、薬が人体に与える副作用と毒性について考え始めました。
まずは身の回りの薬や食品添加物や経皮毒について勉強しながら、調味料や食材を吟味したり、生理用ナプキンを布に代えたりしました。

その後2年間妊娠する事はなく、流産のショックと自責の念も続いていました。
さらに何故か回復しない日々の体調不良に悩み、流産の2年後には一時仕事を辞めました。
辞めても体調はさらに乱れる中、第2子を授かります。
自分の唾液も飲み込めない強い吐き氣の長いつわりでしたが、無事長男を出産。
でも生まれた瞬間しばらくなき声はなく、力なくミーミーとなく青白い赤ちゃんに、お腹で健康的に育てられなかった自責の念とショックがありました。
また、その後も体の不調を抱えながらの子育てをする事になりました。

美容師のパートに復帰しながら第3子の妊娠を望みましたが、相変わらずの体調不良と、また2年たっても妊娠しないことに焦ったり不安になり、不妊検査や何度かの人工受精に臨みましたが成果はありませんでした。
まだこの時は人体について本当に大切な事にはまだ氣付いていませんが、以前より多少考え方は進み「健康の根本は対処療法や薬ではない」という西洋医学以外の体への根本的な対処法に改めて全力で取り組んでいきました。
この時は特に「水」の大切さを知り、ミネラルの種類を選んだり、1日の摂取量を増やしたりを研究していました。

結果、体調やメンタル面は少し回復して、長男を出産後5年後に第3子を自然妊娠しました。

心拍を確認し、少し安心していましたが、しかしその後胎児心拍は停止しました。
自身には2度目の流産でした。

しかし今度は手術ではなく自然流産も選べるという知識がありました。
せめて今度は出産として産んであげたいという想いがあったので自然流産を選びました。
出産のためにと毎日自宅のトイレを浴槽レベルに掃除しながら陣痛を待ちました。
お腹にいる間は一緒に出掛けたりして、短い間に想い出も作りました。
そして3週間後に陣痛が来て自力で出産出来たこの子は、命の戻る場所、お空へと還りました。
母子手帳には『小林そら』と名前を書きました。

流産ではあったものの、5年ぶりに自然妊娠したことや自分の意思で自然流産を選んだことから、人間の体が本来持っている力に驚くのと同時に、この力がどの様に弱ったり力強くなったりするのかを考えるようになりました。
この思考が最初の流産の時とは全く違ったこと、期限をつけて出来るだけの行動を前向きにやりきったこと、が私の体を確実に変えていきました。

そしてこの2年後に第4子の長女を無事出産しました。

これらの経験から、体を健康に保ってくれているのは薬ではなく食であり、そこから作られるキレイな体液の『水』であること、人間の本来持っている力を根本から動かしているのは『思考』、なのだとわかりました。

『悩み』を人生の目標にしてしまうと『思考』は本来自分が楽しむべき人生の目標を見失います。
何のためにその成果がほしいのか?
それがなければ自分には生きる価値がないのか?
それは他人や過去の自分などと比べた価値ではないのか?
あまりにも真剣な悩みは自分や周りの人を傷つけて、成果も得られない諸刃の剣になります。

もし悩む時はこう考えれば、その悩みは楽しい未来へとつながります。
まずは今の自分を最大限に認めてから「今でも十分だけど、もう少しこうしたいからやってみよう!」と考えて行動する事です。

私の30代の10年間は、人間の体と心の仕組みを学んだり体験するための時間でした。
そして40代からは自然療法や食やエネルギーについてさらに詳しく学び、地球や体が私たちのために当たり前にあるのではなく、与えられた自然なエネルギーに感謝して、つながって生きていく事の大切さを学んで伝えていくための時間になりました。
私にとって命という意味を持つ『そら』と、人それぞれ色とりどりの個性という意味を込めた『いろ』で「それぞれの命の個性を輝かせる応援をしたい」という想いから『地球とつながる人専門店 そらいろ』は生まれました。

現在は楽しい人生を過ごすための「もう少しこうだったらいいな」を共有できる、地球とつながってくれる仲間達の手当て人として楽しい日々を過ごしています。

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